私が開院した理由


いつものケガだと思っていました

初めて大きなケガをしたのは小学生のときでした。

当時の僕は同世代の友人たちと同じく『キャプテン翼』の
影響からサッカーをしていました。

小さなころからおっちょこちょいで、ケガが絶えることがなく、
サッカーでも捻挫や打撲が日常茶飯事でした。

そんな毎日を積み重ね、小学6年生になったときのこと。
いつもと同じように足首をひねってしまったのです。

 

全力で走れない・・

ケガはいつものこと。
放っておきましたが、腫れもなかなか引きません。

でも何かをするのではなくしばらくは足を引きずりながら
サッカーをしていたような記憶があります。

そうしているうちに中学生になりました。

いつしか足首の腫れも収まり、ちょうどそのころには
僕の興味はサッカーからバスケットボールへ移っていきました。

ただ、足首の痛みは完全になくなったわけではなく
「歩くときに気にならない」程度は残っていました。

全力で走れない状態での過酷な練習です。
足首をかばう状態が続き、ケガもどんどん悪化。

足首の痛みが回復することもなく、結局たった3ヶ月で
部活をやめることになってしまったのです。

 

全力で走れる喜びと父親の背中

全力で走れるようになったのは高校に入ってからです。

中学校まで50メートル走のタイムは平均を大きく下回る、
9秒だったのが高1では7秒になるまでに回復していました。

自由に体を動かせる喜びに浸っていたときのこと、
僕の友達がケガをして父の鍼灸院に通うようになりました。

今更お伝えしますが僕は鍼灸師の父を持つ2代目の治療家です。

自宅で父親が患者さんのために日々痛みと戦っている姿を
目の前でずっと見てきました。

あまりに近すぎて理解できなかったのかもしれません。

父にきちんと治療してもらうこともなく無理をした結果、
3年以上も全力で走ることも出来なかったのですから。

父の治療を受け、すぐにケガから復帰して、何事も
なかったかのように普通に競技をしている友人たち。

鍼灸の凄さを改めて目の当たりにした僕は決めました。
父と同じ鍼灸師になるということを。

 

生涯の師となる浅沼先生との出会い

高校卒業後、専門学校で鍼灸・マッサージを勉強するため
大阪での新しい生活が始まりました。

とにかくいろいろなことが勉強したかった僕は学校の先生に相談し、
知識の深い先生を紹介していただきました。

生涯の師となる、浅沼先生です。

浅沼先生は鍼灸だけでなくマッサージ、柔道整復(接骨)と多くの資格
を持つスポーツ外傷のスペシャリストで、プロサッカークラブや
プロゴルファーなどからも専属のトレーナーを依頼されるほどでした。

それだけではありません。

カイロプラクティックやテーピングなどにも精通し現在の
私の治療の礎となっていることを全て教えていただきました。

 

ちょうどそのころ

専門学校に通い、幅広いジャンルの知識を身に着けていくと
自分の足首の痛みについてもわかったことがあります。

捻挫だけでなく、外くるぶしの骨が欠けていたために、
痛みがいつまでも引かずにいたのです。

今でも走ったあとや長距離を歩いた時には足首が熱くなり
まだ少し痛む時があります。

ケガは早いうちに治さなければダメですね(^^;)

このときの教訓から当院に通ってくださる患者さんには
ちゃんと最適な来院ペースをお伝えしております。

 

もう一つの目標

師のところは「鍼灸接骨院」でした。

連日スポーツなどでのケガの方が多く来院し、昔の僕と同じように
競技に出たいために治療もせず、無理に試合に出てケガが治らず
どうしようもなくなって来院された方もいました。

一方で休む時にはきっちり休んでストレッチなどセルフケアを
覚えて早期で競技に復帰する方もたくさん見てきました。

鍼灸でなく手技だけで、これだけ多くの患者さんが楽になる
接骨の技術に触れ、私が接骨の技術習得をしない理由はありません。

柔道整復師になることを決めました。

鍼灸の学校を卒業してすぐに開業するのではなく、
また一から学費をためて接骨の学校に通うことにしました。

 

毎日のように、深夜まで

師の院では毎日のように診療後にセミナーが行われていました。

診療後3時間ほど、時には日付が変わる時間まで日々行われており、
予習として1ヶ月間解剖学などの基礎を自分なりに勉強してきた事が
あっという間に吹っ飛ぶほどのハイレベルな内容ばかりでした。

仕事が休みのときには医師や鍼灸師の先生方が主催されている
東洋医学臨床研究会で鍼、漢方を勉強しマッサージや整体の
セミナーなどで技術を磨いてきました。

大阪で過ごした10年で

・鍼灸マッサージの学校に3年
・柔道整復(接骨)の学校で3年

振り返ってみると合計で5000時間以上6年間勉強してきました。

授業終了後の接骨院での勤務、セミナーと休みなく過ごして、
ようやく鍼師・灸師・あんまマッサージ指圧師、そして
柔道整復師(接骨)の国家資格を取ることができました。

 

責任は取ってやる

大阪での修行時代、5年目に入ったころだったと思います。

先に鍼灸マッサージの資格を取ったため、師のところで
自分のスタイルでの施術を許されるまでになりました。

「責任は私が取るから、自分の考えでしっかり施術しなさい」

師から温かい言葉をいただき、修業時代から自分のスタイルを
少しずつですが確立していくことができました。

同時に、はじめから最後まで患者さんに向かい合っていたので、
責任感の重さも感じながら成長させていただきました。

 

そして地元今治へ

28歳の時、大阪での10年間の修業を終え、今治に戻りました。

治療家を目指して今治から離れ、多くの先生や仲間たちと
切磋琢磨しながら自分の治療スタイルを確立してきました。

全力で動ける喜びを知り、治療家を目指したあの当時、

鍼灸でケガをした人に少しでも早く復帰してもらえるように
そして僕のように長くケガで苦しむ人がいなくなるように。

僕はそんな目標を立てていました。

開業から10年が経った今、当時以上の施術に対する情熱を
持ち続け、日々、知識と技術の研鑽を積んでいます。

 

家族に支えられながら

僕は、4人の子どもがいます。

4人の子どもを持つ、妻の日々の頑張りを見ていて、
ひとつのことに気が付きました。

「ママの笑顔は、子どもたちの笑顔。そして、家族の笑顔になる」

このことに気が付くようになってから、今まで以上に
妻とともに二人三脚で子育てをしてきました。

といっても、ほとんど仕事で昼間は自宅にいない毎日です。
少しでも妻をサポートできるよう、日々の体調を見ています。

そうする中で、妻と同じように子育て中のママさんを
サポートすることで、周りにも笑顔が増えると思いました。

子育て中のママさんは、みんな頑張っています。

そんな方々が元気になれば子育ても楽しくなりますよね。
だからお子様連れの方へのサポートも治療の軸になりました。

 

毎日が楽しく、そして真剣です

患者さんは、一人ひとり違います。

目の前の患者さんに真剣に向き合うことで、ともに
治療のゴールを目指して進んでいきたいと思います。

僕は治療の第一歩目は、心を通わせることだと思っています。

理想とする治療を完成させるには長い道のりがありますが、
これからも信頼してくださる皆さまのために、
歩みを止めることなく進んでいきたいと思います。


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